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今回の騒動で社会に広がっている不安に接して,2011年の震災後の感覚を強く思い出しました。多くの人にとってマスメディアだけが情報源だった中,震災を機にインターネット,特にSNSが広く利用されるようになりました。「アラブの春」などで果たした役割の影響も大きく,ネットこそが自由で民主的な情報空間を形成する,と自分も大きな期待を抱いたものです。
当時を振り返って改めて感じるのは,9年後の今のオンライン言論空間に参加している人の数の多さと裾野の広さです。2011年のスマホの普及率は17%,2019年は82%であることから見ても,「インターネット」の持つ意味が9年前とは大きく異なることが分かります。
2011年の僕は,「瞬時に訂正情報が流通する情報化社会は,少々のデマで社会が混乱するほどヤワではないから,皆がどんどん情報を出せばいい。嘘は淘汰される。」と思っていました。残念ながらそれが幻想だったことを,後の多くの研究が示しています。世界中どこを見渡しても,良貨が悪貨を駆逐する健全なオンライン言論空間というものは存在していません。
SNSの普及がもたらした現象の一つは,他人からどう思われるか,が意見表明や行動に色濃く影響するようになったことです。客商売の知り合いから「変わったことを言ったりしたりするとすぐ叩かれる」聞くようになりました。20年前に「叩く」のはもっぱらマスメディアでしたが,不特定多数の一般の人が叩く側に参加しているのが今の状況だと思います。
経済学を学んだことのある人は,「ケインズの美人投票の理論」を聞いたことがあるかもしれません。ケインズは,株式投資を美人コンテストに喩えました。美人コンテストで,1位に投票した人が賞品を貰えるようなルールの場合,投票者は自分が最も美しいと思う女性ではなく、多くの人が投票するであろう女性を選ぶ行動を取る。同様に株式投資でも,投資家は利益を得るためには、自分が値上がりすると思う銘柄ではなく、市場参加者が最も好むであろう銘柄を選ぶようにふるまう,と指摘したのです。
ネットに代表される昨今の言論空間もまた,美人投票化しているのではないでしょうか。
人々が,他人にどう思われるかをあまりにも気にしてふるまう社会が,健全だとは僕には思えません。もちろん我々は他者からのフィードバックの中で生きていく生き物です。しかし,他人がどう思おうと,己の中にある考えや伝えたいことを出しにくくなったり,顔の見えないあいまいな世間に寄せた言動だけがはびこる中で,生き生きとした表現やビジネスが育まれるとは到底思えません。そうでなくても同調圧力が強く働くこの国の,よくない部分が広がっているように思われてなりません。
ネット上に飛び交うネガティブなエネルギーに疲れている人が多い今,みなで考えるべきテーマではないでしょうか。