夢の実現のための自己投資について考えています。
ウチの農園は,独立のための修業の場として働いている者が多いのが特徴です。家が農家ではない新規参入者が,早ければ二年で独立します。これは率直に言って準備期間としては不十分です。栽培を含めた農業経営全般の知識,資金,人脈が二年で身につくはずがありません。他の業界の人と話すと,素人が二年で独立というのはほとんど耳にしません。
ただ,若くて身軽な人の場合は,準備不足のままでもとにかく始めてしまって,苦労しながら覚えていく方が習熟が早い場合もあります。漫然と他人の下で過ごすくらいなら,自分の金とエネルギーを注ぎ込んでヒリヒリした時を過ごすほうがいいケースもあるのは事実です。もっとも,そこまで持ちこたえられれば,の話ですが。
もちろん,見切り発車で始めると,遅かれ早かれ壁にぶつかります。このまま突き進んで大丈夫なのだろうか,と不安になります。ようこそ,自営業の地獄へ!
僕に言わせれば,夜も眠れないくらいの不安が襲ってきて初めてスタート地点です。しかし,多くの新人クンは,壁に当たると辛くて現実から目を背けようとします。具体的によくあるのは,農業と関係のないアルバイトに走ってしまうことです。必要最小限は仕方ないのですが,アルバイトに時間を使いすぎるのは危険です。
僕自身,農業を始めて3年くらいは,アルバイトを生活費の足しにしていました。家庭教師は時間効率がいいと思って,昼間は農作業,夜は家庭教師という生活を送ったこともあります。最初はいいアイデアだと思ったのですが,途中でやめました。アルバイトの時給が良くて,微々たる農業収入と比べるとやっていられなかったからです。農業に身が入らなくなるからやめよう,と思いました。
農業を始めたばかりの「本業」よりも家庭教師の方が率が良かったのは,たまたまそれまでの人生で後者に必要なスキルが身についていたからです。親の教育投資が,家庭教師収入というリターンになったとも言えます。
今稼げるスキルがあることは過去の投資の結果です。であるならば,今稼げることに時間を使い続ける限り,すなわち次に稼ぐことに投資をしない限り,時給が逆転することはありません。(ここで「投資」とはお金を使うことだけでなく,時間,エネルギーなどを注ぐことすべてを指しています。念の為。)
将来が不安になると,どうしても人は「今の自分が稼げる手段」に寄せようとします。それは多くの場合,目標達成に必要な自己投資から逃げることを意味します。農業者として稼ぐ数年後の自分のために時間とエネルギーを費やさない限り,将来の不安が消えることはありません。
よく考えれば当たり前のことなのですが,それほど簡単ではありません。英語で,誰にでもできる最低賃金の仕事のことをmac job(マクドナルドの仕事)と言います。見渡せばmac jobだらけの今の日本で,目先の時間を金に変えるのはそれほど難しくありません。どうなるか分からない未来に賭けるよりも,今の自分にできることに力を注いだほうが,危険回避の本能としては素直な行動かもしれません。
「無理なく稼げる今」に抗って,未来に賭けることは,まだ見ぬ夢の実現には不可欠なこと。でもそれは,危険回避の本能に反する不自然なこと。動物がそんな無茶をするだろうか,と考えると,おそらくしないと思います。
知性が勇気の母である,というのが僕の仮説です。目の前にしんどいことがあっても,「今」に逃げずに未来の自分に投資する判断をするためには,知性が必要なのではないか。教養と言い換えてもいいかもしれません。それはビジネス本を読んで身につけるようなものではなく,人生を豊かにする趣味や他者との交わりの中で体に蓄積されていくものなのだと思います。
夢に生きる者たちは,不自由な今から抜け出したくて未来に賭けようとしているはずです。食えないからアルバイト → 本業が上手にならない → 食えないからアルバイト,というスパイラルに陥る人たちに同情を感じながらも,どこかでそれを止めなければ,自由を勝ち取ることはできないよ,と思っています。