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中学生の娘の勉強に付き合いながら,人はなぜ学ぶのか,なぜ学びたいのか,を考えています。
自分は好奇心が服を着て歩いているような人間なので,基本的に学ぶことは好きです。しかし子供の頃に学校の勉強をちゃんとやったかというと,あやしいものです。はっきり言って,よく覚えていません。中高の授業の記憶はほとんどないし,試験前以外には家で勉強をしたこともありません。親に促されて始めた通信教育を,一回も出さずに終わったという輝かしい過去も持っています。学校の勉強を,自分の中から湧き上がる知的好奇心の対象として見ていなかったのだと思います。好きな映画のこと,パソコンのことなどに関しては熱心に情報を集めていたように思います。
なので,いわゆる教科学習に心からの関心を持てない子たちに,その事自体を責めても意味がないであろうことは何となく分かります。一方で,今の自分が子供の教科書やプリントを見ると,興味深いものが多い。内容も面白いし,問題を解くのも面白いです。
フェアに細かく言うと,モノによって程度の差はあります。英語の教科書は昔も今もあまり関心を惹かれません。”I enjoy fishing at the river every sunday.”とか言われても,何だよそれ,と思ってしまいます。中身が面白ければ面白いと感じるし,空っぽなものはいつ読んでも空っぽです。漫画やアニメをはじめ,優れた物語に接する機会の多い現代の子供はなおさらでしょう。
教育心理学にレディネス(readiness)=準備性という概念があります。教育が機能するために必要な,知能,知識,技能,体力,興味などの「素地」を指します。レディネスが整っていないままに何かを詰め込んでも,効果がないどころか逆効果の場合もある,と言われます。誰にでも思い当たるフシがあるでしょう。
一定の好奇心や向上心を持って暮らしていれば,学問が「使える」と思う瞬間は常に訪れます。大人になれば誰でも,学ぶ準備ができると言い換えることもできます。関心領域が面的に広がると同時に,自分史が積み重なることで時間軸でもモノを考えるようになる。
農業のように生命科学から土木まで守備範囲の広い仕事は学問の応用範囲がとても広いです。現場で日々生じる疑問を解決するのに学問が役に立つ。学問的なバックグラウンドが増えると,現場での理解力がさらに高まり,観察力が強くなる。という好循環が生まれます。知らなくてはならないことの広さと深さに愕然とすることもありますが,この一連の作業は実に知的です。
全くアンテナがない状態で「現場」に臨んでも何も引っかからない。一方で,学問を先行して取り入れても,現場がなければ身にならない。演繹的に学ぶか,帰納的に学ぶかは答えのない課題で,バランスよく同時に,というのが教育心理学の教えです。
僕は,金や地位や名声が人生のゴールだとは全く考えていません。そんな自分でもはっきり認めざるを得ないのは,豊かで幸せな人生を送っている人とそうでない人がいるという事実です。そして僕は,我が子や関わる人達に豊かで幸せな人生を送ってもらいたいと強く願っています。人がなぜ学ぶのか,なぜ学びたいのか,人生の豊かさに関わる重要なテーマではないでしょうか。
この項,続きます。